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最高裁判所大法廷 昭和22年(れ)73号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

被告人松島松太郎及び辯護人正木昊同布施辰治同福田力之助同森長英三郎同青柳盛雄の各上告趣意は後記の通りである。

本件は、昭和二十一年五月十九日、被告人松島松太郎に公判請求書記載の如き「プラカード」携行等の所爲あり、右は改正前刑法第七十四條第一項にいわゆる天皇に對する不敬の行爲にあたるものとして、昭和二十一年六月二十二日起訴せられ、同年十一月二日東京刑事地方裁判所において、被告人に對し、有罪の判決が言渡されたが、其翌十一月三日、昭和二十一年勅令第五一一號大赦令が公布、施行せられ、同日前に前示刑法第七十四條の罪を犯したものは、同令により、赦免せられることとなったのである。

そもそも恩赦は、ある政治上又は、社會政策上の必要から司法權行使の作用又は效果を、行政權で制限するものであって、舊憲法下でいうならば、天皇の大權に基いて、行政の作用として、既に刑の言渡を受けたものに對して、判決の效力に變更を加え、まだ、刑の言渡を受けないものに對しては、刑事の訴追を阻止して、司法權の作用效果を制限するものであることは、大正元年勅令第二〇號恩赦令の規定に徴し明瞭である。であるから、どの判決の效力に變更を加え、又は、どの公訴について、その訴追を阻止するかは、専ら、行政作用の定むるところに從うべきである。前記大赦令に、同日前に刑法第七十四條の罪を犯したものは赦免せられるとあるは、まだ刑の言渡を受けないものに對しては、前示刑法第七十四條の罪を犯したりとの嫌疑をもって起訴せられ、その具體的公訴事実について、現に公訴の繋屬中なるものについて、その訴追を阻止するという趣旨に解しなければならぬ。即ち本件公訴の如きは、まさに、前示刑法第七十四條に該當する罪ありとして、特定の具體的事実について提起せられたものであることは、前に述べたとおりであるから、本件の公訴は右大赦の勅令によって、その訴追を阻止せられたものと解しなければならぬ。

しかして、大赦の效力に關しては、前示恩赦令は、大赦は、大赦ありたる罪につき、未だ刑の言渡を受けないものについては、公訴權は消滅する旨(恩赦令第三條)を定めている。即ち、本件のごとく公訴繋屬中の事件に對しては、大赦令施行の時以後、公訴權消滅の效果を生ずるのである。

しかして、裁判所が公訴につき、実體的審理をして、刑罰權の存否及び範圍を確定する權能をもつのは、檢事の當該事件に對する具體的公訴權が発生し、かつ、存續することを要件とするのであって、公訴權が消滅した場合、裁判所は、その事件につき、実體上の審理をすゝめ、檢事の公訴にかゝる事実が果して真実に行われたかどうか、真実に行われたとして、その事実は犯罪を構成するかどうか、犯罪を構成するとせばいかなる刑罰を科すべきやを確定することはできなくなる。これは、不告不理の原則を採るわが刑事訴訟法の當然の歸結である。本件においても、既に大赦によって公訴權が消滅した以上、裁判所は前に述べたように、実體上の審理をすることはできなくなり、たゞ刑事訴訟法第三百六十三條に從って、被告人に對し、免訴の判決をするのみである。從って、この場合、被告人の側においてもまた、訴訟の実體に關する理由を主張して、無罪の判決を求めることは許されないのである。若し、訴訟の実體に關する問題をいうならば、被告人側にいろいろの主張はあるであらう。公訴にかゝる事実の存在を爭ふこともその一であり、その事実の法律上罪とならぬことを主張するのもその一であり、その他、各種の免責事由の主張等いろいろあるであらうけれど、既に公訴の基礎をなす公訴權が消滅する以上、これらは一切裁判所が取上げることができないと同様、被告人も、また、これを主張して無罪の判決を求めることはできないのである。本件において、被告人および辯護人が特に強調するところの、刑法不敬罪の規定は昭和二十一年五月十九日、即ち本件被告人の行爲のなされた當時には既に失効していたという主張に關しても、畢竟これは被告人の本件所爲が罪となるか、ならぬかの爭點に關するものであって、大赦によって本件公訴權は消滅し、実體上の審理が許されないことは前説明のとおりであるから、被告人等も、また、かゝる理由に基いて、無罪を主張することは許されないのである。

しかるに、原審は控訴審として本件を審理するにあたり、大赦令の施行にもかかわらず、依然本件公訴につき実體上の審理をつゞけ、その結果、被告人の本件所爲は刑法第七十四條第一項に該當するものと判定し、その上で前記大赦令を適用して、その主文において被告人を免訴する旨の判決をしたのである。右の如く原審が大赦令の施行にもかかわらず実體上の審理をなし、その判決理由において被告人に對し有罪の判定を下したことは、前段説明したような大赦の趣旨を誤解したものであって、違法たるを免れず、その違法はまさに本判決をもって、これを拂拭するところであるが、原判決がその主文において、被告人に對して、免訴の判決を言渡したのは結局において正しいといわなければならぬ。

しかして大赦の場合には、裁判所としては免訴の判決をする一途であり、被告人の側でも、無罪を主張して、実體の審理を要求することはできないのであるから、原審がした免訴の判決に對して無罪を主張して上訴することもまた違法であるといわなければならない。

被告人及び辯護人の本件上告は以上の如き理由により不適法である。よって本件上告は刑事訴訟法第四百四十六條に從ってこれを棄却すべきものである。

以上は裁判長裁判官三淵忠彦裁判官塚崎直義同長谷川太一郎同井上登同小谷勝重同島保同藤田八郎同岩松三郎同河村又介の意見である。

裁判官井上登の補足意見は、次のとおりである。

此の判決には大分反對説も書かれると思うから、それに對する意味もあり理由本文の他に私の考へ方を少しく附加して置き度い。

本判決は昭和二十一年十一月三日の大赦令によって免訴の判決をしようというのであるから本件に付て右大赦令の適用があることを前提とすること勿論である、しかし同令は刑法第七十四條の罪を犯した者を赦免するというのであるから若し上告論旨のいう様に同令の出る前にポツダム宣言の受諾其他の原因によって刑法第七十四條の罪即不敬罪というものが無くなってしまって居たとすれば其の以後に關する限り右の罪を犯すということはあり得ないからこれを犯した者を赦免するという大赦令の規定はいわば空を切った様な無意味のもので適用の餘地がないのではないか、故に論旨が「不敬罪というものは無くなって居るのだ」と主張して居る以上、先ず大赦令の適用ありや否やの先決問題として右の罪が無くなって居るか否かの判斷をしなければならないのではないかとの説がある、之れに付ては私は次ぎの様に考へたい、論旨のいう通りとしてもポツダム宣言受諾以前に不敬罪を犯し且刑の確定した者に對しては前記大赦令は十分效用のあるもので、其適用あることは疑ない、其故同令が全然無意義のものでないことは明である、其以後に於ても右刑法の規定が(最近の刑法改正迄は)形式的には廢止せられず、存續して居たことは明であり、実質的にも論旨のいう様になくなったものであるかどうかは必ずしも明でない、少なくとも十分問題となり得べきことと私は考へる(このことは刑法改正案が国會に提出せられた際不敬罪を廢止すべきや否やに付て相當激しい論議があったことによって見ても明である)、かく問題である以上檢事がなお存續するものとして起訴をするということは固より有り得べきことであり起訴があれば裁判所においても問題の存する處に付き十分の審理考究をしなければならぬ、そして若しなお存續するとの意見に到達すれば引續き被告人が起訴事実の様な行爲をしたかどうか、其の行爲が刑罰法條に該當するかどうか等の審理をしなければならない、そこで(本判決理由本文にも書いてある様に)政治上社會政策上の理由により此罪に付ては裁判所における一切の審議を止めにし被告人に對しては法律上始から起訴などなかったと同様にして直ちに釋放しようというのが大赦令の趣旨であると思う、なお又被告人の側から考へて見ても、大赦発令後なお有罪なりや無罪なりやの判斷をしなければならないとすると事実に爭のある様な事件では被告人の訊問、證人調等に相當の日時を要するから其間被告人は大赦があったに拘はらず釋放せられず審理を續行せられる如き場合も生ずるであろう、これは被告人にとって迷惑な話ではないか、そしてなお其の審理の續く間普通の被告人ならば果して如何なる判定を受けるかに付て相當心労もするであろう、しかも其のあげく有罪の判定を受けるかも知れないのである、本件被告人の場合は或は別であるかも知れないけれども多くの被告人にとっては、それよりは一刻も早く免訴の判決を受けて釋放せられる方がいゝのではあるまいか、それ故発令と同時に一切の審理を打切り前記の如く法律上初めから起訴などなかったと同様にして(同一行爲に付ては爾後再び起訴せられることもなくなるのであるから此の點においては初めから起訴が無かったよりも一層有利なのであり無罪の判決を受けたと全く同じなのである)直ちに被告人を釋放してしまうというのが大赦令の趣旨と思う、從來もこういう考えの下に大赦があれば直ちに一切の審理を打切って被告人を釋放して來たのであって、それがいゝのだと私は思う、なお無罪にも色々ある様に免訴にも色々の場合があり、大赦による免訴は前記の様な效果を生ずるものであるからこれによって被告人は完全にいわゆる晴天白日の身となるのであって或意味においては「證據不十分」なんていう理由で無罪の判決を受けるよりは却っていいかも知れないのである、此意味で被告人は無罪の判決を受ける爲めに上訴をすることが出來ないとしてもあまり不利益はないであろう。

尚原判決の理由には被告人の有罪を認める趣旨の記載が有るけれどもこれは主文に包含せられる事項でない、原判決最終の判斷は大赦による免訴であるから此點當裁判所の判決と全く同じなのである、其故真野裁判官の意見の様に原判決を破毀すべきではない、主文に包含せられない事項に關する原判決理由中の記載は本判決の理由でこれを是正すればそれで十分なのである。

裁判官真野毅の意見は、次のとおりである。

問題となっている本件プラカードの文言並に携行の所爲が、侮辱誹謗の不敬行爲であるか、或は單に天皇制批判の政治諷刺に過ぎないものであるか、或はまたこれらの中間の何處に位せしめてよいものであるかは、恐らく見る人々によって、又その立場立場に從って異るところがあるであろう。又刑法不敬罪の規定は、被告人及び辯護人の主張するように、(一)昭和二十年八月十四日即ちポツダム宣言條項受諾に關する大詔が発せられ、その旨スイス国經由米、英、ソ、支四国政府宛日本政府通告が発信せられ、依ってもってポツダム宣言受諾の意思が国際的に表示された日に、消滅したものと解すべきか。或は(二)昭和二十年九月二日即ち東京灣碇泊の米国軍艦ミズリー號上にて降服文書の調印が行われ、官報告示欄にて公布せられ、同時に詔書が発布せられ、一般命令第一號も政府及び大本營の布告として官報に公布せられた日に、消滅したものと解すべきか。或は(三)昭和二十年十月四日即ち聯合軍最高司令部の日本政府宛政治的、市民的、宗教的自由に對する制限の撤廢に關する覺書の発せられた日に、消滅したものと解すべきか。或は(四)昭和二十二年五月三日即ち日本国憲法が施行せられ法の前に国民平等の原則が確立せられた日に、消滅したものと解すべきか。或は(五)檢察官の主張するように、昭和二十二年十一月十五日即ち刑法の一部を改正する法律の施行によって不敬罪規定が削除せられた日に、消滅したものと解すべきか。これらについてもまた、恐らく見る人々によって、又その立場立場に從って異るところがあるであろう。

さて、本件公訴事実である行爲の行われたのは、昭和二十一年五月十九日であり、公判請求のなされたのは、同年六月二十二日であり、第一審においては公判を重ねること十回にして同年十一月二日懲役八月の有罪判決の言渡があった。ついで第二審である原審においては公判を重ねること十四回にして昭和二十二年六月二十八日免訴判決の言渡があった。その間、昭和二十一年十一月三日日本国憲法公布と共に、勅令第五百十一號大赦令の公布があり即日施行せられ、同日前に刑法第七十四條の罪を犯した者は赦免せられることとなったのである。そこで本件においては、特にこの大赦の效力について考察する必要がある。前記勅令第一條においては、「昭和二十一年十一月三日前に左に掲げる罪を犯した者は、これを赦免する」と規定し、その第一號に「刑法第七十四條及び第七十六條の罪」を掲げている。それ故、この規定をただ文理的形式論理的に解釋すれば、刑法第七十四條不敬罪を犯した者に大赦が行われるのであるから、苟くも大赦令を適用するには、前提として先ず不敬罪についての有罪認定を必要とするという見解が成り立つように考える者があるかも知れない。原審もこの流を汲んで、「本件プラカードの記載並に携行の所爲は、天皇の名誉を毀損し不敬行爲に該當する。被告人の行爲は刑法第七十四條第一項に該當する」と斷じた後、前記勅令第一條第一號、刑事訴訟法第三百六十三條第三號に則って免訴の判決を言渡したのである。しかしながら、前記大赦令が公布施行せられた當時行われていた大正元年勅令第二十三號恩赦令第三條においては、「大赦ハ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外大赦アリタル罪ニ付左ノ效力ヲ有ス。一 刑ノ言渡ヲ受ケタル者ニ付テハ其ノ言渡ハ將來ニ向テ效力ヲ失フ。二 未ダ刑ノ言渡ヲ受ケザル者ニ付テハ公訴權ハ消滅ス」と規定されてゐる。本件のごとく既に第一審判決において刑の言渡はあったが第二審において審理中で大赦令施行當時未だ刑の確定せざる状態にあった事件については、被告人は前記法條第二號にいわゆる「未ダ刑ノ言渡ヲ受ケザル者」に該當するから、本件の公訴權は昭和二十一年十一月三日大赦令の施行と同時に消滅することとなったのである。本件において公訴事実は、公判請求書記載のごとく陳述せられ、不敬罪として公訴提起があったことは明白であるから、この事実に基き大赦の效力は発生し、本件の公訴權は消滅したものと解すべきである。すなわち本件は前述のごとく昭和二十一年六月二十二日公訴提起せられ、訴訟繋屬し、爾來裁判所は審理を進めて來たのであるが、大赦令の施行によって本件具體的公訴權は消滅し、本件につき有罪の判決を求める訴訟全體の出発點的基本條件は失われ、ここに裁判所は犯罪の有無の認定及び科刑の実體形成の障害となる事由に直面した譯である。そして檢事は昭和二十二年一月二十三日第二回公判において免訴の判決ありたき旨を述べ、また同年五月六日第八回公判においても免訴判決然るべしとの意見を陳述している。かかる実體形成に關する最も基本的な訴訟條件を缺くに至った場合においては、裁判所は最早有罪無罪の実體的判決をするがために審理を進めることは、ただに無益徒労であるばかりでなく、訴訟法上許されないものであると言わねばならぬ。それ故、刑事訴訟法第三百六十三條第三號においては、大赦ありたるときは、判決をもって免訴の言渡をすべきものと規定されているのである。言いかえれば、大赦のあったときには、早々に実體形成の審理を打切り、免訴という形式的判決を言渡して訴訟を終結するのが本筋である。元來大赦制度はその起源地であるといわれるフランスにおけるアムネスティーという言葉が最も端的に表現しているように、それは「忘れる」ということであり「忘却する」という意味である。すなわち大赦は過去における特種の犯罪殊に政治犯等についてはこれによって水に流して忘れ去るという趣旨である。しかるに、原判決は大赦のあった際大赦令を適用するに當り、先ず不敬罪についての実體形成の審理を遂げ有罪の認定をした場合に、初めて大赦に該當するものとして免訴判決をなし得るとの見地に立ち、本件被告人の行爲を不敬罪に該當するものと認定した上免訴判決を言渡したものであるが、かくのごときはおよそ大赦制度の根本趣旨に背馳するものと言わなければならない。しかのみならず、大赦の效力からいっても、前述のごとく既に不敬罪の確定判決を受けた者については、刑の言渡さえ效力を失う程であるから、未だ審理中で確定判決を受けない者に對し、わざわざ特に一旦有罪の認定を下さなければならぬという実質上の理由は、毫も存しないのである。檢察官の請求にかかる公訴事実の全體の趣旨に基き、直ちに大赦令を適用して形式的な免訴判決をするのが當然である。それ故、原審が被告人の行爲について不敬罪に該當するものとし有罪の認定をしたのは、全く筋違であり違法である。具體的公訴權消滅後の原審は実體形成の審理が許されないのであるから有罪を認定することも無罪を認定することも共にできない。すなわち、黒とも白とも何れとも決定することができないのである。從って、被告人及び辯護人も無罪を主張し白を強調することは、最早本件においては無益であり許さるべきことでない。裁判所は、有罪無罪を決定せず、黒白のけじめを立てず、総ての過去を忘却して、免訴の形式的判決を言渡して當該訴訟を終結することとなる。これが大赦制度の正しい解釋である。

飜ってさらに、萬一大赦が行われなかったとしたら、本件審理の結果実體形成は果してどうなったであろうかについて一考してみるならば、若し被告人及び辯護人の主張が全部是認され得るものとすれば、本件被告人は無罪の判決を受ける可能性があるであろう。また若し原審の採ったような見解が全面的に肯認され得るものとすれば、被告人は有罪の判決を受ける可能性があるであろう。この白と黒との判斷は訴訟を進行して実體形成の審理の過程を經てみなければ、誰人にも豫め判然とせぬところである。そして、上告の申立によって本件は當最高裁判所に繋屬するに至ったけれども前記大赦制度の解釋のごとく當裁判所においても実體形成の審理を進めることができないのは勿論である。それ故、結局は免訴に落着く外はない。唯原審判決が前述のように大赦制度の解釋を誤って、大赦の行われた後実體形成の審理を遂げ有罪の認定をなし、黒と斷じたのは前述のごとく違法である。

多數意見は、この違法を認めつつ、「原審がなした免訴の判決に對して無罪を主張することもまた違法である」とし本件上告を不適法として棄却すべきものとするのである。しかしながら、本件の上告趣意は、(一)免訴の原判決に對して無罪を主張すると共に、(二)同時に原判決の有罪認定を攻撃しているものである。しかのみならず、原判決の有罪認定が違法であるか否かは、職權調査事項に屬する(刑訴第四三四條第二項)。本件上告において免訴判決に對し無罪の主張の許されないことは、前に詳述したところによって明かであるが、それは單に上告の理由がないというだけの問題であって、多數意見のいうように上告不適法の問題ではない。又原判決の有罪認定は前述のごとく違法であるから、この違法を攻撃する上告は、この限度において結局理由があるといわなければならない。元來判決は、主文と理由から成立っているものであるから(刑訴第五一條參照)、主文に違法がなくとも理由中の重要な部分に違法が存在すれば、上告理由ありとして原判決は破毀せらるべきが當然である。そして、憲法は、基本的人權の尊重を重視し、刑訴應急的措置法第二條においては、刑事訴訟法は憲法制定の趣旨に適合するように解釋しなければならない旨を定めている。しかるに、原判決はその理由中において違法に有罪認定をなし、違法に人の顔に泥を塗ってその基本的人權を侵害したものであるから、上告理由ありとして原判決はまさに破毀せらるべきものである。若し多數意見のように原判決における有罪認定を違法と認め本判決をもって拂拭するのだと理由中において僅かに歌っただけで、上告を、不適法として棄却するのでは、原判決はそのまま全面的に確定し、原判決が違法に認定した有罪の事実は、たとえ免訴によってこれに對して科刑が伴わないにしても、永久に拂拭することができなくなるという不合理の結果を生ずる。かくのごとく不必要に違法に推された黒の烙印をそのまま放置して顧みないことは、基本的人權の尊重を保障する憲法の精神に違反する。それ故、本件上告については、刑事訴訟法第四三九條に從い事実の確定に影響を及ぼさざる法令の違反があったことを理由として、原判決を破毀し、自判により免訴の判決を言渡すべきものである。

裁判官栗山茂の本件に關する意見は、次のとおりである。

大赦は三權分立の原則に對して例外的に、行政權の作用を以て司法權の作用に干與することを認めた場合である。すなわち大赦は、刑の言渡を受けた者については、判決の確定力を消滅させ、又未だ刑の言渡を受けない者については、裁判の審理を終了させる行政行爲である。憲法が司法權の作用に對してかような重大な行政措置を認めた所以は、裁判所が刑罰法規を適用した結果が又は適用しようとすることが、却て国の内外の情勢と相容れない事由がある場合に、(大赦は條約上の義務として行はれることもある。)行政權をして司法權の作用を是正せしめる必要があるからである。

明治憲法第十六條は、天皇は大赦を命ずと規定する。元來大赦はその都度勅令で條件を定めてよいものであるが(恩赦令第三條)勅令に別段條件の定がなければ、恩赦令第三條所定の原則によるのである。本件について見れば、昭和二十一年十一月三日公布された勅令第五百十一號大赦令は、同日前に同令所掲の罪を犯した者は、これを赦免すると規定しただけであるから、その效果については、恩赦令第三條に從い、未だ刑の言渡を受けない者については、公訴權が消滅するのである。即ち公訴という行政行爲の權原が消滅するから公訴が消滅するのである。

訴訟の主體は訴訟物體を處分できないものである。公訴が提起された以上、公訴機關も裁判機關も自己の裁量で既成の訴訟關係を變更できない。從てこの原則が厳格に維持されると、公訴が提起された以上は、舊刑事訴訟法や獨佛の刑事訴訟法のように、第一審でも公訴機關は訴訟物體を處分しえないものとなる。そこで国家としては公の必要上公訴機關でも自ら爲しえない訴訟物體の處分を、大赦の制度によってするのである。現行刑事訴訟法では、第一審の判決前では公訴機關による公訴の取消が認められておるから、大赦の事由があれば、訴訟關係は第一審の段階では公訴の取消によって終了され、上訴審の段階では大赦によって終了されるのである。結局現行法では大赦は公訴の取消と同一視すべきものである。すなわち大赦は公訴を取消すかわりに、公訴を消滅させることによって訴訟關係を消滅せしめるものである。裁判權は自動的には発動しないものであり、公訴があって初めて発動が促されるものであるから、「彈劾する者がなければ、裁判する者がない」という諺の通り、公訴が消滅すれば裁判權の活動が停止するのは當然である。從て大赦があれば裁判所は公訴事実につき実體的審理をすることができなくなり又する必要もないものである。ただし裁判所としては訴訟手續は裁判によらなければ終結しえないものであるから、形式的に免訴の判決をして訴訟手續の結末をつけるのである。実質的には大赦令が效力を発生した時に、法律關係は消滅したものであること、被告人の死亡の場合と異るところがない。けだし何れも訴訟主體の一つが消滅した場合であるからである。たゞ大赦による免訴判決は刑事訴訟法第三百六十三條に、公訴の取消、被告人の死亡は同第三百六十五條に規定されておるに過ぎぬ。別個に規定されておるからといって、訴訟法の條項に基いて大赦の本質を誤ってならないことは言うをまたぬ。

然るに本件大赦令第一條が「昭和二十一年十一月三日前に左に掲げる罪を犯した者は、これを赦免する」と規定するから、大赦を以て天皇の仁恤の恩典なりとし、その罪を赦免するのであるとの意見がある。從て無罪判決は大赦による免訴判決に比し被告人に有利であるとの意見があり又大赦は罪の種類を定めて行うものであるから、大赦は當該犯罪につき国家刑罰權を消滅せしめるものであるとし、而てその前提の下に裁判所が大赦のあったことを理由として免訴の判決をする場合には、公訴事実が大赦のあった罪に該當するや否やを判斷してそれが該當する場合に限り免訴の判決を爲すべしとの意見がある。

なる程明治以前にも罪を赦免した制度はあり、歐洲封建時代にも同様の制度はあったが、何れも三權を手中に混用していた王侯の恩惠に過ぎなかった。けれども三權を分立する憲法政治の制度としての大赦は成文憲法と共に我国固有のものではない。大赦は公の必要がある場合に、天皇が国務大臣の輔弼によって、国務として命じなければならない憲法上の制度である。御下賜金のような仁恤又は恩惠の行爲ではありえない。從て裁判所は大赦令の恩惠的措辭を文理解釋することを許されない。大赦は罪の種類を定めて行うものであるが、特定數人の犯人及び被告人が存在しなければ、大赦を行う理由がない。大赦令が「左に掲げる罪を犯した者」というのもこの爲である。公訴も特定人に對するものである。すなわち大赦は大赦令の適用ある特定數人に對する公訴事実から罪となる性質(犯罪性)を滅却させるものである。公判請求書の犯罪事実がなかったと同じ結果となるものであり又それが大赦の目的であり特赦とも異った所以である。大赦によって公訴が消滅したにもかかわらず、公訴事実だけが殘存したり裁判所は消滅しておる公訴事実にるき判斷しうる權限がありえない。公訴事実が大赦のあった罪に該當するや否やを判斷すべしとする説は、裁判權が発動していないのに、まだ発動していると錯覺するものであり、憲法が定めた大赦の制度を無視して裁判權を発動するものである。

そこで本件について見ると、原審は本案の審理をした後「以上の説明に依って被告人の行爲は刑法第七十四條第一項に該當する」と判斷して、昭和二十一年十一月三日勅令第五一一號大赦令第一條第一號刑事訴訟法第三百六十三條第三號に則って被告人に對して免訴の判決を言渡したものである。原審は以上述べた理由によって、明治憲法第十六條の恩赦の制度を実施するために制定せられた、大正元年勅令第二十三號恩赦令第三條の解釋を誤ったものである。尤も大赦の受益者も無罪を爭って実體的審理を求めえないのは裁判所と同様であるが、原判決が大赦の本質を誤って違法な判決をしたのに對しては上告は適法である。而て裁判に理由を附すべきことはただに訴訟法上の問題でなく、憲法上の原則である(刑訴第四九條、憲法第三四條、第三一條)。原判決は大赦に則って、免訴の判決を言渡したのではあるが、理由の根本が誤っておるのであるから原判決は破毀すべきである。されば原判決を破毀して當最高裁判所自ら被告人に對して免訴の判決をなすのを適法とする。

裁判官齋藤悠輔の本件に對する見解は、次のとおりである。

第一に本件上告の申立は不適法として棄却さるべきである。その理由は、無罪判決は免訴判決よりも被告人にとり利益なしとは言い得ないが、現行刑事訴訟法上免訴判決に對し被告人より上訴することは、これを許さない趣旨と解さねばならぬからである。蓋し免訴判決に對し上訴を許すべきか否かについては、立法以前から議論の存したところであったに拘らず、刑訴第三六九條は「有罪ノ判決ヲ告知スル場合ニハ被告人ニ對シ上訴期間及上訴申立書ヲ差出スヘキ裁判所ヲ告知スヘシ」とのみ規定して、免訴判決を告知する場合に同様の規定を設けなかったからである。

第二に上訴を許すものとしても次に述べる理由で本件上告はその理由なきものと考える。

元來、免訴判決は、無罪判決と同じく、形式的公訴權の存在しない場合に言渡す公訴棄却の裁判とは異り、実體的公訴權に關する実體判決であり、從って再訴を許さない性質のものである。何となれば、免訴判決は、無罪判決と共に有罪判決に對するもので、いずれも、実體的公訴權の存在しない場合、言ひかえれば、実體法上の刑罰權の存在を確定する訴訟法上の請求權が実體的に理由のない場合に言渡す判決であるからである。そして、無罪判決は、実體的公訴權が初めから発生しない場合になす判決であり、免訴判決は一旦発生した実體的公訴權がその後消滅し、若しくは実體的公訴權の存否が既に確定判決により確定した場合になす判決であるから、免訴判決をなすには、先ず、実體的公訴權の発生したことを確定し、然る後その消滅したことを確定するか又は、実體的公訴權の存否が既に確定判決により確定したことを確定するのが理論上當然である。また、実際上においても、訴訟の進行中実體的公訴權が初めから発生しないこと明白であるときは、更らに、公訴權消滅の事由を審理することなく、その段階において訴訟を打切り、無罪判決を言渡すに毫も妨げないものである。それ故「被告事件罪ト爲ラス又ハ犯罪ノ證明ナキトキ」に言渡すべき無罪判決は、常に、免訴判決をなすべき後の訴訟段階においてなすべきものとするのは、刑事訴訟法が既に豫審の段階において、「被告事件罪ト爲ラス又ハ公判ニ付スルニ足ルヘキ犯罪ノ嫌疑ナキトキハ」他の免訴の事由あるときと同じく免訴の言渡をなすべきものと規定した立法精神を看過したものである。また、有罪判決を得る見込なき蓋然性は、獨り、免訴の事由ある場合に限るものでなく、無罪の事由ある場合でも同様であり、その蓋然性が訴訟の段階において明確になる時期も免訴の場合は必ず無罪の場合より前であるとは言ひ得ないから、その蓋然性を以て訴訟條件とし免訴判決をその條件ある場合に言渡す形式判決として、常に無罪の実體判決の前に言渡すべきものとする論は失當である。

飜りて免訴判決をなす場合の一つであるところの大赦の場合を考察するに、大赦はある種類の罪を犯した一般者を赦免するものである。換言すれば、その一般者の罪を赦し刑を免ずるものであり、詳言すれば、その犯罪性を滅却し刑罰を全免し、以て、実體法上の刑罰權を消滅せしむるものである。すなわち一旦罪悪に汚染せられた者を漂白して清淨潔白ならしむるものであり、黒きを転じて白からしむるものである。それ故、大赦あったときは、その実體法上の效果を訴訟法にも及ぼし、訴訟法上ある種類の犯罪の実體的公訴權の存立した一般者に對して、その実體的公訴權を消滅せしめ、これを理由として免訴の言渡をなすべきものとしたのである。初より実體的公訴權発生せざる者に對しては大赦の效果を及ぼすの理由毫もなく、すなわち、無罪の判決をなすべきである。從って、大赦に因る免訴の事由発生したときは「有罪無罪を決定せず、黒白のけじめを立てず、総ての過去を忘却して、免訴の形式判決を言渡して當該訴訟を終結する」ものとするのはいわゆる有耶無耶の間に玉石を混淆して「水に流す」ものであり、黒白を決し再訴を訴さない実體裁判の本質を「忘却」したものである。そして本件においては被告人は極力無罪を主張するのであるから、先ず被告人に對し不敬罪の実體的公訴權発生存立したことを確定するのが順序である。

しかしながら、刑法第二編第一章中に規定した不敬罪は天皇のみに對するものではなく、三后、太子、太孫及びその他の皇族のような個人に對するものの外神宮又は皇陵のごとき、いわゆる禮拜所及び墳墓を客體とするものもあるから、その保護法益もその客體の如何により一様に論ずることはできない。けれども、天皇に對する不敬罪の法益は、一私人に對する主觀客觀の名誉とその本質を異にするものではない。換言すれば、その保護法益は、いわゆる名誉及び名誉感情を包含したものと見るべきである。名誉及び名誉感情は、いずれも、人格者に關するもので、前者はその人格者に對する人格的價値の社會的承認乃至評價であり、後者はその社會的承認乃至評價に對する個人の關心、すなわち名誉心である。それ故、後者の法益を有する者は當該個人であるけれども、前者のそれは、実に、社會である。承認乃至評價を抱く社會にして存する限り前者は絶對に消滅することはない。人は一代、名は末代という所以である。さすれば本件不敬罪の法益が消滅したとする無罪論は採るに足りない。

次に、一旦成立した法規は廢止せられざる限り存在するものである。刑法不敬罪の規定は昭和二二年一〇月二六日刑法の一部を改正する法律により削除せられるまで存在したことは、その改正の事跡自體で明らかである。しかも、同法律はその削除と同時に、第二三〇條第一項中「一年以下」を「三年以下」に、「五百圓以下」を「千圓以下」に改め、更らに、第二三二條に「告訴ヲ爲スコトヲ得可キ者カ天皇、皇后、太皇太后、皇太后又ハ皇嗣ナルトキハ内閣聰理大臣……代リテ之ヲ行フ」との一項を加えたのであるから、刑法第七四條第一項の不敬罪の規定は廢止されたのでなく、同法第二三〇條及び第二三一條に變更されたことも明白である。すなわち刑法第六條、刑訴第四一五條にいわゆる「刑ノ變更」と見るべきである。それ故不敬罪の規定の廢止若しくは刑の廢止を前提とする論も採ることができない。

更らに憲法第一四條第一項に「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信條、性別、社會的身分又は門地により、政治的、經濟的又は社會的關係において、差別されない。」と規定したのは、その所定の理由により、その所定の關係において差別するがごとき非合理的な不公平の待遇を禁止する趣旨であって、例えば年令、能力のような他の合理的理由により、所定の關係において區別を設け又は所定の理由により、例えば宗教、衞生のような他の關係においてその取扱を異にすることを妨げるものではない。されば憲法自體において認めている地位身分によりこれに妥當するような法律的特別保護を認めたからと言って毫も憲法に反するものといゝ得ない。それ故、不敬罪の規定が右憲法規定の施行に伴いその效なきものとする論も亦採るを得ない。

果して然らば、原判決が本件不敬罪が法律上罪とならない旨の主張を排斥して本件不敬罪の実體的公訴權発生存立したことを確定し、然る後その実體的公訴權が大赦に因り消滅したことを理由として免訴の言渡をしたのは正當であり、また、その確定に關する原判決の説示も肯認しうるところであるから本件上告はその理由がない。

裁判官霜山精一同沢田竹治郎の意見は、次のとおりである。

本件公訴は被告人の本件プラカードの記載並に携行の所爲が刑法第七十四條の不敬罪に該當するものとして提起せられたものであるが、その審理中昭和二十一年十一月三日不敬罪について大赦があったので原審は被告人の所爲が不敬罪に該當するものであると判斷した上刑事訴訟法第三百六十三條第三號によって免訴の判決をしたものである。ところで大赦はある種類の犯罪について行われ、その效果は當該犯罪によって生じた刑法上の效果を消滅せしめるものである。言いかえれば、その犯罪に對する国家刑罰權を消滅せしめるものである。これは大赦がある罪を犯した者を赦免するものであることの本質から來るのである。本件大赦當時行われていた恩赦令第三條に「大赦ハ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外大赦アリタル罪ニ付左ノ效力ヲ有ス一、刑ノ言渡ヲ受ケタル者ニ付テハ其ノ言渡ハ將來ニ向テ效力ヲ失フ二、未タ刑ノ言渡ヲ受ケサル者ニ付テハ公訴權ハ消滅ス」と規定してあるから未だ刑の言渡を受けない者については大赦が公訴權消滅の效力を有することは明かであるがそれは大赦が當該犯罪につき国家刑罰權を消滅せしめるものであるからその犯罪に對する公訴權を消滅せしめたものである。それで裁判所が大赦のあったことを理由として免訴の判決をする場合には公訴事実が大赦のあった罪に該當するや否やを判斷してそれが該當する場合に限り免訴の判決を爲すべきものである。もしそれが該當しない場合には免訴の判決を爲すべきものでない。ところがこの點につき反對の見解がある。それは免訴の判決は公訴事実が大赦のあった罪に該當するや否やを判斷しないで爲すべきものであるというのである。しかし大赦に基ずく公訴權の消滅の效力が発生するのは大赦のあった罪についてのみ生ずるのであるから、公訴事実が大赦のあった罪に該當することを判斷しないでは公訴權が消滅したと判斷することもできない譯である。又大赦を理由とする免訴の判決は單に檢事の主張する公訴事実とその罪名のみに基ずいて爲すべきものであるとする見解がある。しかし裁判所は檢事の公訴事実につけた罪名に拘束せられる理由はないのである。例えば檢事のつけた罪名が大赦のあった罪でない場合でも裁判所が実體審理を遂げた結果その公訴事実が大赦のあった罪に該當すると判斷されるときは檢事のつけた罪名に拘束されることなく免訴の判決を爲すべきであって、この場合実體審理をすることによって始めて公訴事実が大赦のあった罪に該當することを判斷し得たのであるから、その実體審理を以って違法なりということはできない。以上の次第であるから大赦を理由とする免訴の判決は公訴事実が大赦のあった罪に該當することを判斷し大赦により當該犯罪に對する国家刑罰權の消滅したことを確定するものであるから実質的判決であって形式的判決ではない。

次に大赦を理由とする免訴の判決に對して無罪を主張して上訴し得るや否やは一の問題である。免訴の判決は形式的判決であるから無罪を主張して上訴することが出來ないとする見解がある。しかし上叙のように免訴の判決は実質的判決であると解する以上それは理由のない見解である。又免訴の判決は実體的判決で実體上無罪の判決と同一の效果を生ずるのであるから無罪を主張して上訴することはできないという見解がある。しかし無罪の判決は刑罰權が始めから存在しない場合に言渡すものであり免訴の判決は一旦発生した刑罰權がその後消滅した場合に言渡すものである。從って無罪の判決と免訴の判決とを比較して見ると無罪の判決は免訴の判決よりも被告人にとって遥かに利益であることは明かである。然らば免訴の判決の言渡を受けた被告人は上訴をする利益を有するものであるから無罪の判決を求めるために上訴をすることができると解するのが正當である。以上の説明により原判決に對して無罪を主張して上訴をした本件上告は適法であって、これを不適法なりとする意見は當を得ないものである。

よって更らに進んで上告論旨について審究を要する。

先づ本件公訴事実の内容たる被告人の行爲が行われたという昭和二十一年五月十九日以前において刑法不敬罪の規定が廢止せられ又はその效力を停止せられたか否やの論點につき審究するに、そもそも刑法不敬罪の規定は天皇及び皇族の尊厳を冒涜する一切の行爲を處罰するものであって国の元首たる天皇の地位を特別に保護することにより国家の存立を確保することを目的とする規定であるからその保護法益は天皇の地位であることは疑を容れないところである。從って若しその保護法益が全面的に消滅した場合には不敬罪の規定は実質的に廢止せられたものという外はない。ところで「ポツダム」宣言の受諾及び降伏文書の調印により天皇及び日本国政府が如何なる地位に立つに至ったかは「ポツダム」宣言及び同宣言受諾に關する往復文書、降伏文書、昭和二十年九月六日の米国大統領より聯合国最高司令官に送付された「米国の初期の對日方針」等により明白にされておるところで即ち天皇と日本国政府の国家統治の權限は降伏條項の実施に關しては聯合国最高司令官の制限の下に置かれるに至ったのである。從って降伏條項の実施に關する限り天皇及び日本国政府の權限は最早や最高獨立であるとは言へない。然し同時に聯合国最高司令官の制限の下に国内的には天皇及び日本国政府の存在及びその權限の行使が許容せられたのであって天皇及び日本国政府の權限が全面的に否定せられたのではない。而して聯合国は日本に平和的且つ責任ある政府が樹立せらるること及びかゝる政府が出來得る限り民主主義的原則に合致することを希望するも將來における日本の統治形態に關しては日本に對し国民の自由に表明せられた意思に依って支持せられざる政體を強要する意思を有せざることは前示「ポツダム」宣言受諾に關する往復文書及び「米国の初期の對日方針」において明かにせられておるところであるから將來における日本の統治形態は国民の自由に表明せられた意思により決定さるべきものであって天皇制の存否も国民の自由なる意思により決定されるべき問題であった。かくして日本政府は憲法改正案を発表し憲法改正の手續によって日本の統治形態を確定する措置を講ずるに至ったもので新憲法は帝国議會の議決を經て昭和二十一年十一月三日公布せられ翌昭和二十二年五月三日より施行せらるるに至ったのである。以上の次第であるから本件行爲の當時即ち昭和二十一年五月十九日當時においては天皇の地位は降伏條項の実施に關する限り最高獨立の地位を喪失したのではあるが、しかし全面的にその地位が否定せられたものではなく国内的にはその存在が肯定せられておる状態である。そしてその地位の存續は將來の問題として国民の自由に表明した意思により決定せらるる状態に置かれておるのであって天皇の地位に重大なる變動を來したこと及びその地位は国内的にもなお變動を豫想せられる動揺の状態にあったことは肯認せざるを得ないけれども天皇の地位が全面的に否定せられたものと認めることはできない。果して然らば不敬罪の保護法益も亦全面的に消滅したものということはできないのであるから保護法益の消滅により不敬罪の規定が実質的に廢止せられたのであるとする論旨は総てその理由がないものと言はなければならない。

次に昭和二十一年十月四日附日本帝国政府宛政治的市民的及び宗教的自由に對する制限の撤廢に關する覺書により不敬罪の規定が廢止せられ又はその效力を停止せられたるや否やの點につき審按するに聯合国と天皇及び日本国政府との關係は前段説明の如く天皇及び日本国政府の国家統治の權限は降伏條項の実施に關しては聯合国最高司令官の制限の下に置かれたのであるが、同時に聯合国最高司令官の下に天皇及び日本国政府の国内統治の權限が許容せられておるのである。換言すれば聯合国は日本を管理するにあたり原則として現在の日本の統治機構を利用してその占領政策を実施する所謂間接管理の方式を採用しておるのである。然しこれは原則であって例外として聯合国は占領政策の実施に關し必要と認めた場合には直接管理とする權限を留保しておることは降伏文書や「米国の初期の對日方針」等に明かにされておるところである。而して前示覺書が間接管理として聯合国最高司令官より日本政府に宛て発せられた指令の一つであって直接管理の命令でないことは日本管理方式の原則に照し又右覺書の全趣旨に徴して明かであり又日本政府もこの覺書の趣旨に遵ひ治安維持法その他の法令の廢止手續を執っておるのである。この覺書の中に「天皇皇室及び日本政府に關する自由なる討議を含む思想宗教集會及び言論の自由に對する制限を設定又は之を維持するもの」と規定しておるから不敬罪の規定がこの中に包含せられるものであるや否やは一の疑問である。しかしその問題は姑く措いてこの覺書そのものが日本政府に對する指令であり日本政府に對し或る法令の廢止又はその效力の停止の措置を執ることを命じておるのであって直接管理命令として発せられておるものでない以上この覺書によって直ちに不敬罪の規定が廢止せられ又はその效力が停止されたものと解することはできない。又日本政府はこの覺書に遵ひ多數の法令を廢止しておるけれども不敬罪の規定については當時廢止の手續を執らなかったのである。又聯合国最高司令官も日本政府の不敬罪の規定につき執った態度に對し直接管理の權能により不敬罪の規定を廢止する直接命令を発した事跡もない。以上の所論によって右覺書によって不敬罪の規定が廢止せられ又はその效力が停止されたのであるとする論旨は総て理由なきものである。

次に不敬罪の規定は憲法第十四條の規定に反するから無效であって原判決が不敬罪の規定は憲法施行後も存續しておると判斷したのは違憲であるとの論旨につき審按するに不敬罪の規定が憲法第十四條の規定により無效に歸したと稱すべきや否やは一の問題であるが假りにこれを積極に解するならば憲法の施行によって不敬罪の規定が廢止せられたことになるのであって刑事訴訟法第三百六十三條第二號の犯罪後の法令により刑の廢止ありたるときに該當するのであるから裁判所は免訴の判決を爲すべきである。ところが憲法施行前である昭和二十一年十一月三日に不敬罪につき大赦があったのであるから刑事訴訟法第三百六十三條第三號に該當することも亦明かである。かくの如く同一犯罪につき大赦と刑の廢止とが併存する場合には裁判所は先きに行われた大赦に基づき免訴の判決を爲すべきであるから原審が本件につき大赦のあったことを理由として免訴の判決をしたことは正當であって、不敬罪の規定が憲法施行後も存續しておると判斷した點において原判決が違憲であると假定してもその違憲は毫も原判決の主文に影響を及ぼすものではない。從って憲法違反に關する論旨は聰て結局理由がない。

次に本件プラカードの文言が上告人等の主張するやうに單に天皇制に對する諷刺的政治批判に過ぎないものであるか否やの點につき審按するに本件プラカードに表示された文言は單に天皇を頂點とする天皇制官僚財閥機構に對する諷刺的政治批判に止まるものと認めることはできない。却って用語、語調、その他表現の方法を綜合すればそれは甚だしく侮蔑的排斥的であり結局當時の食糧危機に乘じ食糧メーデーに來集した多數の国民に天皇に對する憎惡の感情を湧き立たせる爲になされたものと認むべきであるから原判決が本件プラカードの記載竝に携行の所爲は天皇に對する不敬罪の所爲に該當するものと判斷したのは正當であって此の點に關する論旨は聰て理由がない。

以上説明の理由により本件上告は理由がないから刑事訴訟法第四百四十六條に依り上告棄却の判決をなすべきである。

裁判官庄野理一の意見は、次のとおりである。

一、本件の多數意見によると、昭和二十一年十一月三日勅令第五百十一號大赦令の公布があり即日施行せられ、當時行われていた大正元年勅令第二十三號恩赦令第三條においては、「大赦ハ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外大赦アリタル罪ニ付左ノ效力ヲ有ス。一、刑ノ言渡ヲ受ケタル者ニ付テハ其ノ言渡ハ將來ニ向テ效力ヲ失フ。二、未ダ刑ノ言渡ヲ受ケザル者ニ付テハ公訴權ヲ消滅ス」と規定されている。本件のごとく既に第一審判決において刑の言渡はあったが、第二審において審理中で大赦令施行當時未だ刑の確定せざる状態にあった事件については、被告人は前記法條第二號にいわゆる「未ダ刑ノ言渡ヲ受ケザル者」に該當するから、本件の公訴權は昭和二十一年十一月三日大赦令の施行と同時に消滅することとなったのである。つまり、大赦令の施行によって本件具體的公訴權は消滅し、ここに、裁判所は犯罪科刑の実體審理の障害となる事由に直面した譯であるから、裁判所は早々に実體上の審理を打切り、免訴という形式的判決を言渡して訴訟を終結するのが本筋である。といふのである。

しかし元來恩赦令による大赦というのは犯罪人に對して行はれる恩典と考へられたもので、罪あるものは赦すというのであるから、例えば本件で被告人の主張が單に、本件プラカードの文言は、天皇批判の「笑ひ」であって、不敬罪に該當せぬというだけなら、それを裁判所が立入って被告人の主張の當否を審理することの可能か否かの訴訟法上の問題はあるかも知れないが本件では被告人は本件行爲當時不敬罪は存在しなかったと主張するのである。若し然りとすれば被告人は罪あるものでもなく、また、罪の疑はしきものでもない。從って被告人に對する公訴權なるものははじめから無かったのである。はじめから無かったものは、消滅のしようが無いのであるから、大赦の對象にはなり得ないのである。この重大な爭點を判斷しないで通ろうとするのである。斷じて同意できない。

一、裁判官霜山精一同沢田竹治郎の意見によると、刑法不敬罪の規定は国の元首たる天皇の地位を特別に保護することにより国家の存立を確保することを目的とする規定であるから、その保護法益は天皇の地位であることは疑を容れないところである。從って若しその保護法益が全面的に消滅した場合には不敬罪の規定は実質的に廢止せられたものという外はない。ところで「ポツダム宣言」及び同宣言受諾に關する往復文書、降伏文書、昭和二十年九月六日の米国大統領より聯合国最高司令官に送付された「米国の初期の對日方針」等により降伏條項の実施に關する限り天皇の地位は最早や最高獨立であるとはいへない。即ち本件行爲當時の昭和二十一年五月十九日においては天皇の地位は降伏條項の実施に關する限り最高獨立の地位を喪失したのではあるが、しかし全面的にその地位が否定せられたものではなく国内的にはその存在が肯定せられておる状態であるから、不敬罪の保護法益も亦全面的に消滅したものということはできない。

又昭和二十一年十月四日附日本政府宛政治的市民的及び宗教的自由に對する制限の撤廢に關する覺書により日本政府は治安維持法その他多數の法令を廢止しておるけれども不敬罪の規定については當時廢止の手續を執らなかったから右覺書によって不敬罪の規定が廢止せられ又はその效力が停止されたとは認められないといふのである。

しかし舊憲法における天皇の地位は最高獨立そのものであるところに特殊の尊厳があり、またこれを刑法上特別に保護する必要があったとするのは右意見の如くであるが、ポツダム宣言の受諾により天皇の地位が最高獨立のものでなく、前記「米国の初期の對日方針」に示された如く、天皇の權力は降伏條件を執行し日本占領管理政策を遂行するために必要なるあらゆる權力を有する最高司令官に從屬するものであって、即ち天皇の上に聯合国最高司令官があり、その下に在來の權限行使が便宜的に容認せられておるのであるから、かかる天皇の地位の本質的變貌は刑法不敬罪の保護法益をその瞬間において消滅せしめたものといわざるを得ない。しかしてかゝる解釋は「凡ての人は法の前に同一である。何人と雖普通人に拒まれる特別の保護を受けることはできない」といふ民主主義の根本精神に合致するものである。

又昭和二十一年十月四日付前記覺書により日本政府は不敬罪の規定の廢止手續を執らなかったといふがそれはその當時の日本政府がその當時の日本の政治情勢を洞察して廢止法令のうちに「不敬罪」を加へなかったといふだけで既に新憲法は実施され、天皇は、主權の存する日本国民の総意に基き日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるとされ、不敬罪も刑法からそのかげを没し、刑法の威嚇がなければ天皇の尊厳が保てないという封建的な思想が拂拭された今日、本件行爲當時に不敬罪が実質的に廢止されていたと斷ずることに、さ程の困難を感じないのである。

右の理由により本件被告人に對しては原判決を破毀して無罪を宣告すべきである。

辯護人蓬田武同東本紀方同高木右門同神道寛次同牧野芳夫の各上告趣意書は孰れも期間經過後の提出であるから説明を付せない。

(裁判長裁判官 三淵忠彦 裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 庄野理一 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介)

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